林ゑみ子-民宿オーナー
2015.04.03  NOターン

春のトレッキングと山菜採り、夏のラフティングや川遊び、秋の紅葉や温泉、冬のスキー・スノーボードと、年間を通して藤原には約100万人の観光客が訪れます。そのため住民が500人しかいない土地でも、民宿やペンションをはじめとして旅館、ホテル等の宿泊施設が多くあります。
その中の一つ「民宿やまびこ」を一人で切り盛りするのが、地元で生まれ育った林ゑみ子さん。
仲の良いお友達の間でも料理自慢として有名で、昔ながらの郷土料理を子ども達に伝える活動もしています。

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藤原に江戸時代から伝えられて来た郷土料理「ぼた」はうるち米を炊いて潰してまとめたものを竹串に刺し、クルミと味噌、砂糖に少々の味醂を足した甘めのくるみ味噌をのせて囲炉裏の炭火でじっくりと焼き上げて、アツアツのうちにいただきます。

もち米を使わずにうるち米でつくるから「餅」がつかない「ぼた」と言うのだそう。お米はゑみ子さんの田んぼで作ったあきたこまちを丁寧に手作業で潰してから形を作ります。クルミは山で採って来たものを土に埋めて周りの果肉の部分を腐らせてからこそげ落とし、その後きれいに洗ってから天火で干して保存。クルミを使うときには一旦水につけてふやかしてから、水を切ってフライパンで煎ると先の方に割れ目ができ、そこから専用のハサミで殻を割り中のクルミの実を掘り出してようやく使えるようになります。味噌も自家製のものだから、毎年お米もクルミも味噌も出来上がりに違いがあって、その分だけ「ぼた」の味も変わってくるそうで、それがまた楽しみなのよと笑って話してくれました。

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藤原には「ぼた」の他にも「醤油豆」や「鰊漬け」、「山菜の佃煮」など、古くから伝わる郷土料理がありますが、そのいずれも味を濃く作るのが特徴です。海なし県と呼ばれるように、群馬は海がありませんが、その中でも藤原は道路と自動車が普及するまでは海産物がなかなか手に入りにくい土地でした。そのため行商からたまに手に入る鰊もしっかりと塩干しされたもので作られる料理や、雪が多く作物が育たない厳しい冬の間も保つようにと保存に適した料理が生まれました。物流が整備され便利となった現代ではスーパーで鮮魚を買うこともできるようになった分、昔ながらの郷土料理の知恵は失われそうになったそうです。そこで、学校とも協力して子ども達やその若い親達に向けて郷土料理を伝える課外授業の先生もされていました。今は後輩達にその席を譲り、仲の良い友達と集まってはそれぞれが持ち寄った料理を楽しみながらお茶のみ時間に花を咲かせています。

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そもそも藤原に多くの民宿が作られたのは昭和58年の群馬国体開催に向けて、スキー場が整備され選手や関係者、観客を収容するために街をあげて民宿の開業を支援したことがきっかけとなりました。それまでは藤原に訪れたお客さんは個人の民家に泊めていたものを、「農家でも構わないから、衛生設備を整備して民宿をやって欲しい」という行政側の要望もあり林家でも民宿を営むことになりました。
開業後はバブル時代のリゾートブームもあり、民宿やスキー場まわりの道路は観光客の路上駐車で埋まってしまうほどの賑わいを見せていましたが、最近は人口減少に伴い最盛期に比べ藤原への客足は随分減ってしまったと少し寂しそうでした。
それでも、現在藤原をはじめみなかみ町で取り組んでいる教育旅行ツアーの開発によって、全国の小中学生を対象とした「田舎暮らし体験」の受け入れが新しい楽しみになっています。10名弱の子ども達を受け入れ、職場体験として民宿の仕事を手伝ってもらいながら一緒に料理をしたり、ご飯を食べることで元気をもらえると嬉しそう。
住民が減って子ども達の声が少なくなってしまったことがとても残念で、スキーのお客さんにもよく藤原への移住を進めているのだそう。地元もヨソモノも関係なく、また子ども達の大きな遊び越えを聞ける日を待ってます。

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「ぼた」の竹串も自分で竹から作ってしまったり、62歳から始めた押し花づくりは3年間高崎まで通って資格を取得しインストラクターとなってからはお友達に教えたり、自分の作品を作ったりととにかく手作業が好きでもの作りを楽しんでいます。押し花用の花も山や野から採集してきたものや、押し花用に育てたものなど山ならではの暮らしを楽しむ元気なおばあちゃんでした。

平成28年11月 永眠