一昔前は林業で栄えた藤原地区ですが、その時代に過ごし行き深い山暮らしで培われた知恵は時代の移り変わりとともに失われようとしています。代々親から子へと受け継がれて来た「かんじき」や「藁靴」など雪国ならではの手仕事の技の最後の継承者となった人が阿部惣一郎(あべそういちろう)さん。83歳ながらも現役で山に入り木に登ったり藁靴を作る藤原の生き字引です。
惣一郎さんは藤原で生まれ育った生粋の藤原っ子で、若かりし頃は林業家として山に入ってノコギリで木を伐採しソリに摘んで運ぶ仕事をしていました。すでに隠居の身とはなっていますが、今も変わらず山に入いる元気なおじいちゃんです。
最近取り組んでいる新しい「遊び」は地域仕掛人の北山さんと取り組んでいるメープルシロップ作り。二人は惣一郎さんの山に入り楓の樹液からメープルシロップを作ろうと実験しています。せっかくなのでその現場を見せて頂くことになりました。
しんしんと雪が降る中、自宅でまずは昔ながらの「かんじき」を借りて履くことから始まりました。このかんじきはお父さんが作られたものを、一部惣一郎さんが直して現役で使われているもの。かんじきを履かずに雪を歩けば分かりますが、一歩踏み出す度に脚が膝上まで埋もれてしまい中々前へ進むことができません。かんじきを履けば一歩毎のの表面積を増やしているので、雪に埋もれることもなく随分と楽に歩けるようになります。
さらには、サラサラの新雪が降ったとき専用の特大のかんじきも見せて頂きましたが、通常のものより二周りは大きく、先端から伸びた紐を持って歩く度に持ち上げながら進むというものです。かんじきなしでは腰まで埋まってしまうような朝に使うものだそう。この特大かんじきは惣一郎さんのおじいさんが作ったもので、大事に保管・修繕して今も使われています。
平成29年8月18日 永眠
かんじきを履いて自宅の裏から山林へと向かう道中、熊棚を見かければ丁寧に熊の様子を説明し、クルミの木があればネズミが運んだものが芽を出し根付いた話し等、山とともに行きて来たエピソードに事欠きません。
そうこうしているうちに辿り着いたのが樹齢約100年の立派な板谷楓。この木は昔種がどこからか運ばれて来てこの地に根付いたものだそうです。一人の腕では足りないくらいの太い幹まわりの一カ所からホースが伸び、その先に繋がれたタンクが結びつけられていました。木の南側にあたる面にドリルで深さ5cmほどの穴を開け、そこにバルブを取り付けるだけで自然と樹液が滴り落ちてくる仕掛けです。惣一郎さんと北山さんにとっても初めての試みだったので、初めに据え付けたタンクは2Lのペットボトルでした。一晩空けて見に来ると樹液はボトル満杯に溜まり、溢れ出したものがこぼれ落ちていたそう。そこで10Lのタンクに替えてみたところ、それでもあっという間に満杯になってしまったので、現在は20Lのタンクで溜めることにしたのだそうです。
樹液集めをやってみると、雨の次の日や暖かい日には良く出るそうで、3月末からの木が葉を茂らせる前が地中から多くの水分を吸い上げるのでより多く採れることが分かりました。
採りたての樹液は透明でさらさらとしたほぼ水のようなもの。これを煮詰めて作たものがメープルシロップとなりますが、まだ試験段階なので惣一郎さんの楓から樹液を採り、北山さんが自宅の薪ストーブでじっくり煮詰めて作ります。40Lの樹液から作れるメープルシロップはたったの1Lだけなので、とても手間と時間の掛かる藤原産メープルシロップがそのまま商品になるかはまだわかりません。それでも二人は新しい取り組みを楽しんでいるようでした。
メープルシロップづくりは初めての惣一郎さんですが、子ども頃はこの板谷楓の枝を折ってその樹液をおやつ代わりに嘗めていたそうです。
その後惣一郎さんの自慢の隠れ家(作業場)も拝見。自分で窓や建具もつけて作った小屋で、さながら大人の秘密基地のよう。一見すると乱雑に積まれているようですが、どこに何があるかは惣一郎さんの中でははっきりと把握されている空間です。薪ストーブの前に積まれたクルミは、自ら山で採って来たものから実を掘り出した後の殻で、油分を多く含むクルミの殻がストーブの焚き付けに最適なのだそう。
他にも自転車の車輪で作ったスキーのストック掛けや、一斗缶で作った塵取りなど手づくりの品で溢れていました。かんじきもそうですが、藁靴のような昔ながらの手仕事もいまだ現役で作られています。藁草履はまだ他にも作れる人がいますが、ブーツ上に編み上げる藁靴を作れる人は藤原では惣一郎さんのみとなってしまいました。親から教わって身につけたその技も、昔はゴム長靴なんてなかった時代だったからこそ作るしかなかったと言います。当時は雪の日も藁靴の中に炙って油分をにじませたあすなろや檜の葉っぱをいれると、油で滑りが良くなって素足でも痛くなく、靴下を履いて濡れて冷えてしまうよりも温かかったとのこと。
「ないものは作る」というまさに昔の人の知恵だったのですね。
最後に見せていただいたのは、これまでの惣一郎さんの人生で使われて来た数々の道具たちが眠る物置でした。現役で木を伐採していた頃の大きなノコギリや、お弁当を入れて背負った縄で編まれたリュックなど、どれも思い出が深く刻まれた古道具たちです。
今も大切に保管しているこの物置は惣一郎さんの宝箱なのでした。