福山正和-クリエイティブディレクター
2015.04.03  Iターン

藤原をもっと楽しい場所にするためにオフィス移転・移住をサポートするために始まったPlay Fujiwaraプロジェクトですが、既に先駆的な事例があります。2013年にファッション先端地の東京代官山から藤原へアウトドアブランド『MofM』が本社オフィスを移転してきたのです。
「なぜ東京から藤原へ?」「ファッションブランドが都会から田舎へ?」
そんな疑問を抱えながら、渋谷で展示会に出展中のMofMクリエイティブディラクター福山正和(ふくやままさかず)さんを訪ねました。

福山さんは10年間プロスノーボードライダーとして世界中の雪山をフィールドに活躍していました。同時期にファッションモデルとしても数々の大手ファッション雑誌で活躍後、独学で服づくりを学び自身のブランド『MofM』を2004年に設立します。スノーボードライダー時代にはいい雪のあるところの求めて世界中を飛び回っていたそうで、白馬や北海道、カナダなどに拠点を移しながらひたすら雪山を滑る生活を送って来ていたそうです。その後自身のブランド設立後、2008年からは代官山に直営店を構え、東京を拠点に山へ通う日々に。東京から山へ通うには、前夜遅くまで仕事をしてから殆ど寝ない状態で夜中に出発し、肉体的には無理をしての遊び方だったそうです。

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そんな暮らしを続けて来た中で転機となったのが群馬県みなかみ町と新潟にまたがる谷川岳との出会いでした。谷川岳といえば世界の山のワースト記録としてギネス認定されているほど危険な山として有名ですが、山の形やそのクオリティにすっかり魅了され、もっと通い詰め谷川岳を存分に楽しめるようにと本社移転を決意したのです。それから谷川岳に近いエリアの中で、東京へのアクセスが良くログハウスの物件という条件で探したところ、藤原の空き物件を見つけ2013年6月に移転したのです。

事業を行う上では都心を離れ田舎に移ることは一見すると無謀な経営判断と捉えられるかもしれませんが、福山さんのとっては元々雪山をフィールドに活躍していたスノーボードライダー時代があるため、また山に戻ったという感覚だったそうです。また、ここ数年で普及したSNSというチャンネルを使えば、都心にいなくても情報発信ができることを確信しており、むしろ山の限りなく一番奥から世界に発信できると自信がありました。事実MofMのFacebookページを見れば、東京にいては決して出すことのできない山や川のフィールドの写真がタイムリーに発信されています。
さらに、アウトドアブランドを設立しリアルなフィールドで使われるアイテムを提案するものとして、山から遠く離れた東京にいて知識だけでもの作りをすることに強い抵抗感を持ったことも、オフィス移転の動機となりました。

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藤原へ移って来てからは毎日近くの山へ入り雪の降り方や気温の変化、天候の変化等を敏感に肌で感じ取り、リアルな経験値を積み上げていくことができます。そしてその経験を自信のブランドにフィードバックさせたアイテム開発が可能になっています。海外のアウトドアブランドが皆同じように山の近くにベースを置き、日々のフィールドの変化を感じ取ったもの作りをしているので、MofMのあり方もより本質に基づいた展開が可能になったのだそう。また、アウトドアが好きで来てくれた自社スタッフ達も、常にフィールドに近い場所で働く環境にすることで、いざ山へ入ったときに危険を回避する能力を高められるメリットもあるとのことです。山の危険性を深く知っているからこその経営者としての判断でもあるわけです。

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仕事の面だけでなく個人的な遊びで言えば、藤原に来たことで山に対する遊び方も変わったらしく、これまでのボードメインで雪山だけの興味だったのが、いまでは冬よりも春夏の山の方がいいかもしれないと考えるまでに至りました。さらにはルアーやフライフィッシングにも目覚め、ますます山へ通いたい衝動が募ってしまったのだと言います。
現在は藤原を拠点に月一回ほど仕事で東京へ出るサイクルができていますが、今後ブランドの世界への販売展開を目指し、新ラインのブランドも立ち上げているため、仕事の時間と山に入る時間の折り合いを付けるのが悩ましいところ。さらには、これまで谷川岳を1000km歩き通して必ずぶつかっているのが岩壁であり、命を掛けるロッククライミングに手を出すかどうか、それもまた悩みの種だとか。

これから移住する人に向けては、藤原はただのんびりしたいだけでは必ず飽きてしまう田舎だだから、山やアウトドアを本気で好きだったり、ここでしか作れないもの作りを目指すような「遊び人」が合っているとのアドバイスも。

福山さんはこれからの時代を先がけて田舎から世界に向けてブランドを発信する、今後も目が離せない先輩「遊び人」なのでした。